Reviews / 批評
■佐藤司美子『幻日(Parhelion)』レビュー
生き続ける民謡 - 人々の営みの声を伝えるピアノ / 松山晋也(音楽評論家)
伝統音楽/民謡はやっかいだ。ヘタに手を出すと火傷する。なぜならそれは、民族衣装と同じように、地域社会の歴史や風土や文化の中から生まれ、育まれ、彫琢と醸成を繰り返しつつ継承されてきたものだから。そこには市井の人々の無数の記憶や思いや知恵が堆積し、同時に極めて合理的な美も備わっている。ある意味、究極のポップ・ミュージックでもあるのだ。その重みを真摯に受け止めることなく上澄みだけパクって醜態をさらしてしまった音楽家は、ロック、ジャズ、クラシック等々どのジャンルでも枚挙にいとまがない。剽窃することなく、あるいは、すり寄ったりおもねったりすることもなく、演奏者が自分自身の語法に依って伝統の神髄と対峙した時に、初めて聴き手の心に響くものだ。
岩手で生まれ育った佐藤司美子はピアニスト/作曲家としてクラシック、それも現代音楽や実験音楽を徹底的に学んだ音楽家だが、伝統音楽/民謡の美しさと恐ろしさを十分に知っている。それは、岩手の風土が、匂いが、風が、彼女自身の血肉になっているからである。だから彼女はこのアルバムでも、民謡の上澄みだけをパクることなく、その本質を自身の語法だけで鮮やかに抉り出してゆく。西洋音楽の顔つきをしてはいるが、しかしここからは人々の日々の営みの声がはっきりと聴こえてくる。
「佐藤司美子:幻日〜岩手県民謡をモチーフにしたピアノ作品集」レビュー / リネット・ウエステンドルフ音楽博士(作曲家・ピアニスト)
ピアニストで作曲家の佐藤司美子さん、このたびは輝かしい新譜「Parhelion -piano music inspired by Iwate folk songs」のリリース、おめでとうございます。彼女は2021年2月22日と28日に岩手県民会館中ホールで、東日本大震災10周年を記念してピアノ独奏のための録音をした。ホールの音質は美しく鮮明で音響が生きている。
「鹿踊りへのオマージュ 」は、花巻春日流鹿踊の演目「一番庭」を佐藤が書き起こした楽譜から、リズムと歌をイメージした6楽章の作品である。2016年、宮沢賢治生誕120年記念演奏会のために作曲された。
6つの楽章(プロローグ、月明かりの下で、たわむれ、いざない、彼方から、エピローグ)は、崇高な単純さから劇的な名人芸まで、すべて「プロローグ」の冒頭の旋律から展開される。
「プロローグ」は美しいシンプルな旋律で始まり、リズミカルな行進曲のようなエネルギーに発展していく。佐藤のピアノの音色のコントロールは、最初のフレーズから明らかである。次の楽章「月明かりの下で」は、静かでアルペジオ的なメロディーを含み、繰り返されるパターンは感傷的でなく優しい。「たわむれ」はエネルギッシュなシンコペーションで、「いざない」は繰り返されるリズムのモチーフに深みを感じさせ、低音から高音へと発展し、クラスターのハーモニーを聴かせる。各楽章は、新しい作曲のアイデアとテクニックへの論理的な移行であり、佐藤は作曲と演奏の両方でエレガントに表現している。
「彼方から」は、シンプルなパターンからドラマチックな半音階への移行を経て、最初の旋律の短いコーダで戻ってくるという神秘的なムードを醸し出す。「エピローグ」はピアノの全音域を使った、豊かで活発な、技術的に高度な作品であり、佐藤がピアノという楽器を熟知していることがわかる。コロナウイルスの大流行で演奏会場に聴衆が入れなかったが、生演奏を聴いたらきっと大感激したことだろう。
次の曲は「南部牛追い唄変奏曲」で、「テーマ、フーガ(翁)、男、神、狂、鬼、女」の7楽章で構成されている。岩手県民謡のメロディーを様々なスタイルで展開した曲集である。各曲のタイトルは能の演目から取られており、「南部」は岩手県の旧名である。
「テーマ」はシンプルで短く、「フーガ」では対位法的な展開があり、線と展開が生き生きと演奏される。「男」は3拍子の活発で生き生きとした短楽章で、非常に調子が良い。「神」は単一のメロディラインから始まり、徐々に愛らしい和声のディテールを導入し、両手の間の穏やかな響きの中で、思慮深く繊細に演奏される。「狂」は活発であるが、おそらく狂気とまではいかない。ヴィルトゥオーゾ的な旋律は両手の間で絡み合い、最後には豊かな和音の集合に変わる。「鬼」は角ばったメロディーと活発なリズムを持ち、エネルギッシュでダイナミックな動きを見せるが、その生き物は短い曲の中でむしろ早く精力が尽きてしまう。不吉なタイトルとは裏腹に、遊び心にあふれた楽しい作品である。
最終楽章の「女」は、切なくも強い個性を持った思慮深いワルツである。繰り返されるメロディーは様々なアレンジの中に漂い、聴き手はその愛らしい曲を思い浮かべながら聴くことができる。収録曲の終楽章は、佐藤の編曲による「厨川節」である。伝統的な旋律が、佐藤司美子の成熟したダイナミックな録音のエンディングにふさわしい。彼女の作曲の創造性と、常に自信に満ちた生き生きとした名人芸が相まって、聴く人に繰り返し喜びを与えてくれることであろう。伝統的なメロディーを現代的な言葉で表現しているのは見事である。
最後に、CDの装丁とジャケットのデザイナーに賛辞を贈りたい。伝統の範疇と深遠さの中で、エレガントかつ現代的であるという、この音楽作品の特徴に完璧な敬意を表している。
ハリダ・ディノヴァ (ピアニスト、スタインウェイ・アーティスト)
最初の曲(鹿踊りへのオマージュ)はとても日本的で、技術的にも難しい。南部牛追い唄の変奏曲は華やかなハーモニーで温かく響くものや、バルトークやプロコフィエフのリズムで響くものなどがあり、プロコフィエフの「束(つか)の間の幻影」のような様式の楽しい作品集になりうると思います。
ブラボー、スミコ、これらの曲はレベルが高く、あなたの演奏は素晴らしいものです。
幸遊記 2021年5 月17日(月)付 盛岡タイムス 記事「佐藤司美子の幻日というCD」より抜粋 / 照井顕(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)
……何度聴き返しただろう。聴けば聴くほどこのCDは彼女の真骨頂(全作曲、演奏)。
そこに流れるメロディーは民謡だとしても、演奏はジャズであり、クラシックであり、全体としては現代音楽的であるのかもだが、そのどれでもない唯一無二的佐藤司美子(すみこ)ワールド。
彼女がこれまで、形式や様式にこだわらない、とらわれない、自由な創作へのアプローチを はてしなく続けてきた結果としての音楽である。